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エルヴィス猫

Author:エルヴィス猫
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還暦を過ぎた親父が作ったブログです。10代の頃から、
自称エルヴィス「命」の大ファンで、その熱い想いはいまだ冷めておりません。このブログで通じて皆さんと楽しく交流が出来ればいいな~と思っています。

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06

Category: pops

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ビー・マイ・ベイビー・・・ザ・ロネッツ
 1958年フィル・スペクターは3人組グループ<The Teddy Bears>を結成し、<To Know Him Is To Love Him>が全米1位の大ヒットになった。その中の紅一点才女と言われた<キャロル・コナーズ>が在籍していた。キャロルはホット・ロッド・グループ、リップ・コーズの<ヘイ・リトル・コブラ>の作者である。

 スペクターは1963年フィレス・レコードを設立し、彼の音楽は複数のテイクを録音し、それを
重ね録した作業を何回も繰り返し作られたサウンドである。この録音方法を録りいれたのが、かの大瀧詠一氏である。シンプルなロックン・ロールと違い重厚なサウンドはその当時としては非常に斬新なものであった。

 ロネッツはヴェロニカ姉妹といとこのネドラ・タリーの3人で結成したグループ。
当時のガール・グループは、ザ・シュープリームスを筆頭に、ザ・シュレルス、ザ・マーベレッツ等のグループの人気があったが、ロネッツはその中でも異彩を放っていたように思われる。
それは、ひとえにフィル・スペクターの陰の力によるものだ。
ronettes.jpg

 1963年フィレス・レコードのデビュー作<Be My Baby>が全米2位の大ヒット放ち、一躍人気グループになった。このデビュー曲はロネッツ最大のヒット曲であり代表作でもある。
スペクターサウンドの中でも重要な作品であり、フィルとロニーのラブソングでもあるように感じる。
watasinobaby.jpg

 この曲のイントロのドラムスの音は一度聴いたら忘れらない、強烈なインパクトのあるサウンドだ。
でも悲しいかなこの曲が余りにもインパクトが強烈だった為、この曲を超す素晴らしい作品が生まれなかった。ヒット曲は8曲ばかりで、ベスト10内にチャートインしたのは、<Be My Baby>一曲のみである。1966年に発表した<I Can Hear Music>が最後のヒットになった。

 同年ロネッツはフィレス・レコード閉鎖と共にグループも消滅した。
でも、<Be My Baby>は永遠に忘れられない名曲として、我々オールディーズ・ファンの心に残る作品だ。


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Comments

あたしのベビー
久しぶりに聴いた気がします。
Be My Baby の邦題って「あたしのベビー」だったんだね^^
いろんなアーティストがカバーしているから
どれがオリジナルなのか忘れていましたよ^^
ザ・ロネッツ
懐かしい曲です。
よく見ていた、TVのザ・ヒットパレードなどで、ザ・ピーナツなどが良く歌っていましたね。
黒人差別が激しい時代の中、ヒット曲を歌っている黒人の歌手、グループが多かった事が
当時不思議に感じていました。
私が好きだったグループも黒人のグループが多かったです
シュープリムス、テンプテイションズ、サム&デイヴなど。
黒人の偉大さ
弘田三枝子バージョンはオリジナルと比較すると、ちょっと、元気があるかな~と感じる。

黒人差別が公然とまかり通っていた時代ですが、ロックン・ロール、ジャズ、ヒップ・ホップ等の音楽は彼ら黒人がいなければあり得なかったのですから。

極論するとアイドル歌謡曲も存在しなかった
のです。

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