「悲しき少年兵」は、本国アメリカでは全くヒットせず、1961年日本だけの大ヒットをカットばした代表的な曲であり、アメリカと日本のヒット曲が必ずしも一致しなかったサンプルみたいな曲だね。
本人の歌声から想像すると、今で言う「イケメン」を期待しますが、実際は地味なおっさん顔しています。期待を裏切るような事言ってメンゴ!
さて、曲調は日本人好みのマイナーな感じに仕上がっています。ジョニー君がロッカ・バラッドの曲にのって甘く切ない作品に仕上がっています。この当時のタイトルの付け方は、まぁ、いい加減なものでこの曲も先例にならって「悲しき・・・」でのタイトル曲である。そして、日本人の好みの曲は、激しい曲よりもメロディー重視の曲がヒットしている傾向が伺えます。例えば、以前紹介した「口紅のシール」とか、ミカエル・コックス「カバー・ガール」マイク・ベリー「ロンリネス」、フランク・チャバール「カーニバル・ガール」、そして、この曲も日本のみのヒット曲で、バリー・ダーベルの「涙の日記」などが、本国ではヒットせず、日本だけのヒット曲がビートルズ以前には日本のポップス界を賑わしていました。
ジョニー君は余りにもこの曲がヒットした噂を聞きつけ来日したほどです。その経緯が音楽雑誌<ミュージック・ライフ誌>に載っていましたので紹介します。
「・・・・日本で僕の「悲しき少年兵」が大ヒットしているというニュースを聞いた時以来、にっぽんに来たくて仕方なかったんです。でも、なかなかうまいチャンスがなくてイライラしていたところ、最近フジ・テレビから出演依頼の申し込みを受けたもので、矢もタテもたまらず飛んできたというわけです」。1とうことです。そりゃ~そうだろうねアメリカでは全く無視されていたわけだから、歓迎されている国にはどこでも行って、歌を聴いて欲しいと思うのは、歌手として当然の行動だと思うよ。
この「悲しき少年兵」は日本のオールディーズ・ファンに忘れる事のない想い出の曲として、永遠に燦然と輝く作品だと思います。
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たしか、藤木孝さんが歌っていた記憶があります。
最初の出だしの、ロンリーの繰り返しを聞いていると、ハミングしたくなりますね。
あの頃は、この様なラブバラードの曲が多くありましたね。