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  11 ,2009

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エルヴィス猫

Author:エルヴィス猫
FC2ブログへようこそ!
還暦を過ぎた親父が作ったブログです。10代の頃から、
自称エルヴィス「命」の大ファンで、その熱い想いはいまだ冷めておりません。このブログで通じて皆さんと楽しく交流が出来ればいいな~と思っています。

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Category: R&B

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愛はどこへ行ったの・・・・ザ・スプリームス
 グループの活動期間は1959年から1969年までである。
 結成当時のメンバーは、<ダイアナ・ロス>、<メアリー・ウィルソン>、<フローレンス・バラード>、と<ベディ・マグロウン>の4人組であったが、まもなくベディが抜けバーバラ・マーティンに替わった。
そのバーバラもデビュー目前に結婚の為やめた。こうして、オリジナルの3人になった。

結成当時、毎日毎日ぼくらは鉄板の・・ではない、日々モータウン・レコードに通いつめて毎度断られても
あきらめずに通ったお陰で少しずつ仕事が貰えるようになった。その結果マービン・ゲイのレコーディングに参加できるようになった。仕事と言っても「手拍子」するだけの仕事だったが、レコーディング出来るだけで
満足していた女の子達だった。

そのころのグループ名は<ザ・プライメッツ>だった。
プライメッツは1960年「Tears Of Sorrow/Pretty Baby」がデビュー曲だったが、当然ヒットはしなかった。A面はダイアナ、B面はマリーがリードボーカル。

1961年グループ名を<ザ・スプリームス>と変更してモータウン・レコードと契約を交わした。
変更してもなんら変化はなく、一番ヒットしたのは1963年に発売した<When The Lovelight Stars Shining Through His Eyes・・・恋のキラキラ星 全米 # 23>だった。

 因みに<supreme>とは、最高位の、最大級の意味だが、大したヒットもなかったので、彼女らは<No Hit
Supremes>と呼ばれていた。要するに名前負けしていたわけだ。

 でもそんな彼女らの下積み生活も1964年になって事情が一変する事になる。それは、モータウン・レコードの売れっ子ヒット・メーカのD-H-D(ドジャー、ホーランド、ドジャー)との出会から始まった。
1964年に吹き込んだ<Where Did Our Love Go・・・愛はどこへ行ったの>が、1964年8月1日付で5位にランクされ、その3週間後になんと全米1位になってしまった。 この大ヒットをきっかけに5曲連続全米1位の前代未聞の大進撃が始まった。
この年にアメリカ・デビューした<ザ・ビートルズ>と対抗できるのは彼女らしかいなかったと言われる所以です。
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 <愛はどこへ行ったの>を初めて聴いたのは、今と違って当時のラジオ番組はポップス番組が花盛りでして、猫もご多分にもれず毎晩聞いていました。その中のポップス番組で知ったこの曲は足音のイントロから始まるという大変ユニークなもので、聴いていて不思議な感じがした曲でした。
個人的にはダイアナの声は嫌いです。声が細く甲高く聞こえるからです。それから体が細いのも駄目ですね。

 <愛はどこへ行ったの>には裏話がありまして、当初はこの曲は<ザ・マーベレッツ>が歌う予定でしたが、メンバーの一人が”こんな屑歌は歌えない”という事で、スプリームスにお鉢が回ってきました。
断られた歌を歌うというのには抵抗があったもの、デビューしたてのグループですから、断れるはずもなく嫌々歌ったら 大ヒットするのですから、世の中どこの運が落ちているか分かりませんね。

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Category: 記事

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英国の侵略
1964年2月1日は英国のポップス界は念願のアメリカ上陸を果たすきっかけになった記念碑的な日になったのです。
それは、ザ・ビートルズの「抱きしめたい」がビルボードNo1に輝いた日です。
それ以前にもNo1になった曲はあります。その曲・・アッカー・ビルクの<白い渚のブルース>と、トーネドースの<テルスター>がですが、アメリカ侵略とまで発展しませんでした。

また、英国のポップスの帝王クリフ・リチャードも進出を試みましたが、成功とまではいっておりませんでした。が、ビートルズは違いました。今までの軟弱なアメリカンポップスに興味を失い始めたファンが、斬新な襟なしスーツにマッシュルーム・カットのグループが歌う、一昔の忘れかけていた野性的でロックン・ロールに飛びつくのに時間はかからなかった。理由は当時のアメリカのポップスは甘ったるいドリーミーなソフトロックが主流だった。そんな音楽に飽き飽きしていたファンが両手を挙げて歓迎したのは当然だと思う。

でも、順調に見えたビートルズさえも、アメリカで成功を得て人気グループになるまで11カ月無視されていたのです。ブライアン・エプスタインも頭を抱えてしまったことだと心情察しますが、そのころのアメリカは海外の音楽には閉鎖的だったでも、長崎の出島ではありませんが、少しは受け入れたのです。それが、アッカー・ビルクであり、クリフであり、トーネドースであったのです。
そんな理由で1963年にアメリカで発売したビートルズのレコードは悉く失敗に終わりました。
それも、レコード会社を替えても変化はありませんでした。

<抱きしめたい>・は、キャピトル・レコード、<シー・ラブズ・ユー>はスワン・レコード
<プリーズ・プリーズ・ミー>はヴィ・ジェイ・レコード、<ツイスト・アンド・シャウト>はトロイ・レコードと各社ばらばらに発売しています。
それが突如アメリカの気まぐれか<抱きしめたい>が1964年1月18日付で初登場45位にランクされ、僅か3週間という高速でビルボード1位になってしまったのです。こんなスピードで1位になった曲は今までないと思う。エルヴォイスさえ果たせなかった記録だ。

ビートルズの大成功によって、やっと英国ポップス界が念願のアメリカ上陸を果たすことが出来たのです。良かったね^^イギリスのビート・グループはビートルズによって、アメリカへの進出を果たすきっかけを作ったのだから感謝すべきだね。

それから、堰を切ったように、ザ・デーブ・クラーク5、ストーンズ、キンクス、アニマルズ、サーチャーズ、フー、ハニーカムズ、フレディ・アンド・ドリーマーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ゲーリ・アンド・ザ・ペースメーカーズ、ビリー・J・クレイマー アンド・ザダコタス、スインギング・ブルージンズ、ピーター・アンド・ゴードン、などなどがアメリカのポップス界に進出して、ヒット・パレードを席巻しました。正に、1964年は<ブリティッシュ・インヴェイジョン>の年だった。
今までアメリカ主流だったポップス界も、ビートルズの出現によってイギリスも主導権を握ってしまった。
それ以後、イギリス抜きのロックはアメリカでは考えられない状態に突入した。
aP1010492a.jpgaimg_216732_931337_10.jpgaimg_312667_1613306_1.jpg>aホンキィ・トンク・ウィメン


ところで、日本も音楽産業盛んな所だけど、、イギリスみたいになるかっていうと、それは無理!
なぜって、今の国内のポップス界を見ると分かると思う。アジアでは人気が高いが、欧米ではまだ受け入れてはもらえないし、認められてもいない状態だ。<スキヤキ>は番外中の番外だ。
日本のアーティストもヒット・チャート飾っているが、それは、永続的なものではなく、単発、いわゆる一発やで消えている。エイちゃんもヒカルも失敗に終わっている。日本では通用しても、世界を相手とすると力不足を感じるね。

you really got me
I can let go
Tabacco Road

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Category: ロックン・ロール

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監獄ロック・・・・・エルヴィス・プレスリー
 エルヴィス主演3作目の映画の主題歌「監獄ロック」は、ジェリー・レイバーとマイク・ストーラーの作品です。7週間全米1位になり、イギリスでは初登場1位を獲得した。この当時としては前代未聞のことで
不可能とされていた。これ以後、14曲初登場1位を獲得した。それを、やってのけたエルヴィスは凄いと思った。

監獄ロック2監獄ロック

 映画の中で「監獄ロック」歌って踊るシーンは、エルヴィスが考えた振りつけたと言われているが、実際はアレックス・ロメロと言う振付師が考えたものです。 本当に監獄ロックのシーンはエルヴィスがカッコよく踊っています。あんな、素敵で迫力ある映像を観たら、ファンになっても当然だと思った。
数あるダンス・シーンの中でも秀逸だと思うね。この演技で、エルヴィスは最高のロックン・ローラと証明した映画でもある。

あと一つ猫の好きな映像シーンがあります。それは、プール・サイドで<Baby I Don’t Care>を歌うシーンです。これまたカッコいいんですよ。また、このシーンでエルヴィスが着ている服をそっくり再現した熱心なファンもいるほどでした。ファンとは凄いですね。猫も女性だったら編むかもね^^

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でも、この映画は1957年当時日本では上映せず、<ブルー・ハワイ>より後の1962年に上映したそうです。そう言えば、そんなポスターみた事ありましたし、その頃、ファンだったのですがまだなりたてだったものだから観ませんでした。それを思うとため息が出てきます。お馬鹿な猫ちゃんでした。

 これで1957年エルヴィスの№・1ヒットは<Too Much><All Shook Up><Teddy Bear>に続く4曲目になりました。
ところで、映画の撮影中にエルヴィスにアクシデントがあって緊急手術を受ける羽目になりました。
それは、板から滑る落ちるシーンで、歯に被せたものを肺に飲み込むというものでした。これによって三日間声が元に戻らなかったそうです。仕事とはいえ俳優稼業も大変な事です。そのアクシデントが見舞われたと思われる映像がこれだと思います。

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Category: pops

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I Wish This Night Would Never End・・・Ral Donner
ジョー・アン・キャンベルと同じ<ゴーン・レコード>専属の歌手だった、ラル・ドナ-はリアル・ネーム”ラルフ・スチュアート・ドナー”といい、1943年2月10日イリノイ州シカゴで生まれました。

彼は10代の頃教会で歌い始めて、高校時代に最初ンバンド<The Rockin' Five And The Gents>を結成したりした。1959年彼は<スコッティ・レコード>で<That's All Right With Me>デビューしたが、不発に終わり、間もなく、<ゴーン・レコード>に移り、1961年2月<Girl Of My Best Friend>が、全米19位のヒットになった。この曲はカバーでオリジナルはエルヴィスのアルバム<Elvis Is Back>の中の一曲である。
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彼はその他に彼最大ののヒット曲<You Don't Know What You've Got (Until You Lose It)が、全米4位の」大ヒット、<Please Don't Go # 39><(What a Sad Way) To Love Somebody #74><She's Everything( I Wanted You To Be) #18>の5曲のヒットがある。

彼はエルヴィスのそっくりな歌い方をして人気を集めた。歌い方は”口に熱いジャガイモをくわえているような歌い方”をするようなボーカル・スタイルである。
彼の好きな歌のひとつである<Rip It Up>は、リトルではなく、エルヴィスの歌い方から演奏までフルコピーしている曲である。

さて、今日の一曲は最近猫が最もお気に入りの歌である。演奏といい、歌い方といいこんなに素敵な曲にめぐり会えたのは久しぶりだ。エルヴィスを彷彿させながらも、ラルの生真面目な歌い方は失っていない。聴き始めのころは一日何回も繰り返して聞いていたほどだ。それほど猫はこの曲にノック・ダウンしてしまうほど入れ込んだ。

同じ曲をソニー・ジェームスが歌っているけど、もう全然雰囲気が違う。演奏もなんかしっくり来なかった。この曲は女性野好みの歌ではないかと思っている。是非、女性の方に聴いてほしい一曲である。



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Category: 記事

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面白レコード・タイトル
 50年代、60年代の邦題には、オリジナル・タイトルとは全く関係ないタイトルがあります。
今回はそんなタイトルを集めてみました。今では考えられないような何かほのぼのとしたタイトル、には感心させられます。

<恋のいも虫君>(Ugly Bug Ball)モーリン・スコット・・・どんな彼氏なんか見てみたいです。
でも、いくらなんでも“いも虫”はないだろう?オリジナルが見当たりませんでしたので、他の歌手で聴いてください
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恋のいも虫君

<スキヤキ>(上を向いて歩こう)坂本 九・・・日本唯一の全米ナンバー1の大ヒット曲。
なぜ、“スキヤキ”のタイトルになったかは、興味ある人は調べてみるのも面白いですよ。
英語では・・・I Look Up When I Walk Down・・・と書くそうです。なんか余計分からなくなった。
上を向いて歩こう_1
スキヤキ

<風来坊の唄>(The Wayward Wind)ゴギ・グラント・・・意味分かりません。
直訳すると“変わりやすい風”となりますが、訳すとなんとなく分かるような、分からないような、まぁ、いっか^^
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風来坊の歌

<ロックを踊る宇宙人>(The Purple People Eater)シェブ・ウーリー・・・これもナイスなタイトルです。でも、直訳すると“紫色の人々を食べる人)になるが、”紫色の人々“って何だ!
そして、宇宙人がどんなロックを踊るのさ、見せてほしいね~
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ロックを踊る宇宙人

<あたしゃカックン>(Ooh My Soul)リトル・リチャード・・・このタイトルを知った時は、ビックリしました。この当時の音楽関係者の人はセンスと面白心が持ち合わせていたんですね・・脱帽!
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あたしゃカックン

<ミサイル娘>(Boom Boom Baby)ビリー“クラッシュ”・クラドック・・・なんとも物騒なタイトルです。下手に軟派なんかすると大怪我しそうですし、殺されるカモね^^
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ミサイル娘

<ゴキゲン火星ちゃん>(Martian Hop)ザ・ラン・デルス・・・火星人がぴょんぴょん飛び跳ねるという意味になります。これはこのタイトルでいいと思う。<ぴょんぴょん飛び跳ねる>状態はゴキゲンな時ですからね。
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ゴキゲン火星ちゃん
<テキラでヘベレケ>(Too Much Tequila)ザ・チャンプス・・・これは分かりました。テキーラを飲みすぎて、“ヘベレケ状態”になっているんですよね。レコード・ジャケットを見ると“ザ・チャムプス”となっています。
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テキラでヘベレケ

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Category: pops

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ビー・マイ・ベイビー・・・ザ・ロネッツ
 1958年フィル・スペクターは3人組グループ<The Teddy Bears>を結成し、<To Know Him Is To Love Him>が全米1位の大ヒットになった。その中の紅一点才女と言われた<キャロル・コナーズ>が在籍していた。キャロルはホット・ロッド・グループ、リップ・コーズの<ヘイ・リトル・コブラ>の作者である。

 スペクターは1963年フィレス・レコードを設立し、彼の音楽は複数のテイクを録音し、それを
重ね録した作業を何回も繰り返し作られたサウンドである。この録音方法を録りいれたのが、かの大瀧詠一氏である。シンプルなロックン・ロールと違い重厚なサウンドはその当時としては非常に斬新なものであった。

 ロネッツはヴェロニカ姉妹といとこのネドラ・タリーの3人で結成したグループ。
当時のガール・グループは、ザ・シュープリームスを筆頭に、ザ・シュレルス、ザ・マーベレッツ等のグループの人気があったが、ロネッツはその中でも異彩を放っていたように思われる。
それは、ひとえにフィル・スペクターの陰の力によるものだ。
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 1963年フィレス・レコードのデビュー作<Be My Baby>が全米2位の大ヒット放ち、一躍人気グループになった。このデビュー曲はロネッツ最大のヒット曲であり代表作でもある。
スペクターサウンドの中でも重要な作品であり、フィルとロニーのラブソングでもあるように感じる。
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 この曲のイントロのドラムスの音は一度聴いたら忘れらない、強烈なインパクトのあるサウンドだ。
でも悲しいかなこの曲が余りにもインパクトが強烈だった為、この曲を超す素晴らしい作品が生まれなかった。ヒット曲は8曲ばかりで、ベスト10内にチャートインしたのは、<Be My Baby>一曲のみである。1966年に発表した<I Can Hear Music>が最後のヒットになった。

 同年ロネッツはフィレス・レコード閉鎖と共にグループも消滅した。
でも、<Be My Baby>は永遠に忘れられない名曲として、我々オールディーズ・ファンの心に残る作品だ。


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Category: ネオ・ロカビリー

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ザ・スライド・・・・・キック・エム・ジェニー
彼女の経歴は全く分かりません。オランダ生まれの32才既婚者であるようです。ただ彼女の歌い方を聴いたらぶったまげると思います。なにしろ、濁声で有名な<Queen Of Rockabilly>のワンダ・ジャクソンを何倍もワイルドにした歌い方をするんです。

 初めて動画を観た時は、へぇ~と思わず唸ってしまいました。何と言うんだろうか、男勝りで、姉御肌の女性かな・・と。最初観た映像には(The Slide)刺青は指定なかったが、違う映像には腕にしっかり入墨がしてあった。まぁ、欧米あたりでは日本のやばい人達と違って、気楽な気持ちで彫っているようです。一種の装飾みたいな感じですかね?

 そんな事はどうでもいいですが、<ザ・スライド>の映像は凄いよ。だみ声全快のロカビリーをワイルドに歌いまくっています。カッコイと思うし、それに男だから、どうしても胸の部分に目がいってしまうよ。胸がユサユサしながらのロカビリーは最高だ!
ただ、彼女のアルバムは日本では発売していないらしい・・残念! 

この曲のオリジナルはRhythm Rocketsですが、オリジナルと比較するとジェニーのほうがスピード感、ドライブ感溢れる作品に出来上がっています。
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Category: pops

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悲しき少年兵・・・・ジョニー・ディアフィールド
 「悲しき少年兵」は、本国アメリカでは全くヒットせず、1961年日本だけの大ヒットをカットばした代表的な曲であり、アメリカと日本のヒット曲が必ずしも一致しなかったサンプルみたいな曲だね。
本人の歌声から想像すると、今で言う「イケメン」を期待しますが、実際は地味なおっさん顔しています。期待を裏切るような事言ってメンゴ!
悲しき少年兵

 
さて、曲調は日本人好みのマイナーな感じに仕上がっています。ジョニー君がロッカ・バラッドの曲にのって甘く切ない作品に仕上がっています。この当時のタイトルの付け方は、まぁ、いい加減なものでこの曲も先例にならって「悲しき・・・」でのタイトル曲である。そして、日本人の好みの曲は、激しい曲よりもメロディー重視の曲がヒットしている傾向が伺えます。例えば、以前紹介した「口紅のシール」とか、ミカエル・コックス「カバー・ガール」マイク・ベリー「ロンリネス」、フランク・チャバール「カーニバル・ガール」、そして、この曲も日本のみのヒット曲で、バリー・ダーベルの「涙の日記」などが、本国ではヒットせず、日本だけのヒット曲がビートルズ以前には日本のポップス界を賑わしていました。
 
 ジョニー君は余りにもこの曲がヒットした噂を聞きつけ来日したほどです。その経緯が音楽雑誌<ミュージック・ライフ誌>に載っていましたので紹介します。

 「・・・・日本で僕の「悲しき少年兵」が大ヒットしているというニュースを聞いた時以来、にっぽんに来たくて仕方なかったんです。でも、なかなかうまいチャンスがなくてイライラしていたところ、最近フジ・テレビから出演依頼の申し込みを受けたもので、矢もタテもたまらず飛んできたというわけです」。1とうことです。そりゃ~そうだろうねアメリカでは全く無視されていたわけだから、歓迎されている国にはどこでも行って、歌を聴いて欲しいと思うのは、歌手として当然の行動だと思うよ。

 この「悲しき少年兵」は日本のオールディーズ・ファンに忘れる事のない想い出の曲として、永遠に燦然と輝く作品だと思います。

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