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  07 ,2009

シングルジャケット
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エルヴィス猫

Author:エルヴィス猫
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還暦を過ぎた親父が作ったブログです。10代の頃から、
自称エルヴィス「命」の大ファンで、その熱い想いはいまだ冷めておりません。このブログで通じて皆さんと楽しく交流が出来ればいいな~と思っています。

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Category: Blues

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リトル・レッド・ルースター・・・・ザ・ローリング・ストーンズ
エルヴィスの「考えなおして」の次に好きなブルーズ・ナンバー。ブライアン・ジョーンズのスライド・ギターが素晴らしい。彼が本来演りたかった音楽はこのような作品だったと思うほど心に染みいる。何を隠そうこの曲を聴いてタンノイ社のスタリーング・スピーカーの購入を決めたのです。彼ブライアン・ジョーンズは才能あるアーティストです。ほんとに亡くなったことが、英国のブルーズ・シーンの宝を亡くしたくらい惜しい人物でした。
Little Red Rooster

オリジナルは1961年チェス専属のハウリング・ウルフです。ここでもウルフは吠えまくっています。
この曲を作ったのはストーンズとなじみ深いウィリー・ディクスン。尚、彼らのグループ名はシカゴ・ブルーズの大物マディ・ウォーターズの「Rollin’ Stone」から頂いてグループ名にした事はあまりにも有名な話。
この曲アメリカではこてこてのブルーズという事で、発売されませんでした。なんで~

ストーンズはチャク・ベリーの「Come On」で1963年にデビューし、最初はカバーおよび他人の作品が多かったが、レノン/マッカトニーの「I Wanna Be Your Man」を彼らの目の前で作ったことに驚き、ストーンズがオリジナルを作るきっかけになった。この曲はストーンズ、ビートルズの共通の公式録音の作品でもある。
この曲は「It’s All Over Now」に続く2回目の全英1位になりました。
因みにジャガー/リチャードの最初のオリジナル作品は」「Tell Me(You’re Coming Back)」

さて、ストーンズはチャック・ベリー・フリークとしても有名だが、ベリーの曲結構カバーしている。
有るストーンズ関連の雑誌には9曲有ると言っているのだが、猫が調べたところによると、
1 Around The Around 2 Bye Bye Johnny 3 Carol 4 Come On 5 Let It Rock 6 Talkin’ ‘Bout You 7 You Can’t Catch Me 8 Little Queenie の8曲あと一曲がどうしても分からない。知っている人がいましたら是非、教えてください。

猫の好きなブルーズ・シンガーは何と言っても「エルモア・ジェームズ」です。これでもかというほどスライド・ギターが炸裂しています。素晴らしいアーティストです。これに影響されたのがフリートウッド・マックのジェレミー・スペンサーでエルモア・ジェームズばりのスライドギターは凄いです。まるで、ジェレミーにエルモアが乗り移った感じがするほどです。今彼は何をしているんでしょうかね。

でも、やっぱり、白人が歌ったブルーズ・ナンバーではエルヴィスの「考えなおして」が最高峰の作品だと信じています。

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Category: 記事

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ポールのウッド・ベースは・・・
ポールが持っているウッド・ベースは以前は誰の持ち物だったでしょうか?
ロカビリー・ファンなら知っているかも知れませんね。

このウッド・ベースは何んとエルヴィスのデビュー当時からのバンド仲間ビル・ブラックの楽器でした。
それは、ポールの奥さんリンダがビルのベースが納屋に捨ててあったのを見つけてポールにプレゼントしたものなのです。この時、ビルは亡くなっていましたし、ビルの親せきの人も処分に困っていたそうです。凄い掘り出し物ですね。猫もエルヴィスの遺品があれば何でもほしいニャン!お金はないけどさ^^ビル・ブラックのウッド・ベースaビル・ブラックのウッド・ベース2

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Category: ロックン・ロール

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ドゥー・ユー・ラブ・ミー・・・ザ・デーブ・クラーク・ファイブ
 オリジナルはモータウン・レコードのザ・コントアーズ1962年全米3位の大ヒット曲。
猫はこの日本盤のレコードを持っていましたが、エルヴィスの「ゴールデン・レコード・Vol3」が欲しくって(日本独自のジャケット)エルヴィスのシングル盤と一緒に売ってしまいました。今思うと非常に後悔しています。エルヴィス盤も今では珍しいレコードを持っていました。社会人なってからまたそれらの買い集めています。なんてこった。昔は1枚330円で今はン千円?もしますからね。

モータウン・レコードは創立者ベリー・ゴーディ・ジュニアが僅か資本金800ドルでデトロイトで設立した会社です。社名の「モータウン」は自動車産業で知られるデトロイトが「モータータウン・・・モーターの町」
と呼ばれていたことから由来するらしいです。素晴らしいネーミングだと思いませんか^^

本来ならば「モータウン・レコード」の事も解説したいのですが、今回はイギリスのビート・グループなので解説はパスします・・ゴメンチャイ。

いや~今回の曲選定は大変でした。なぜって、両方のレコードが素晴らしい出来なので、どっちをメインにしようかと悩んでいましたが、思い切ってデーブ・クラーク・5を決めました。
イギリスでヒットしたのはトレメローズ盤で全英1位に輝いたが、DC5盤は30位と振るわなかった。でも音の厚さと言いマイク・スミスの圧倒的な歌い方でご機嫌なロックンロール・レコードの仕上がってトレメローズ盤をはるかに上回っている。その証拠にアメリカではDC5の方がヒットした(全米11位)。
ストレートなロックン・ロールのこの曲はマイク・スミスの重みのあるしゃがれ声で猫は好きな歌い方です。
マイク・スミスは偉大なロックン・ローラーの一人だと思っています。
do you love me

DC5はアメリカに於いてはビートルズの次に売れたグループでもあり、本国イギリスよりもアメリカで人気のあったグループです。その証拠に英国では8枚のアルバムに対し、アメリカではその倍の16枚、そして、14枚のゴールド・ディスクを獲得しています。それに、なんていたって全員イケメンですから、女の子の人気が出ないわけないね。やっぱ、美男子はいい・・猫も来世はイケメンに生まれてこようっと・・とバカ猫は勝手に思っています。

DC5盤


オリジナル盤

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Category: pops

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キューティ・パイ・・・・ジョニー・ティロットソン
ジョニーの作品「It Keeps Right On-A-Hurtin」をエルヴィスがカバーした時、彼は興奮し胸が一杯になったと言っている。この歌はジョニーの父親が病床に伏していたので、父親を思って創った作品。

また、エルヴィス・フリークでもある彼は、当時、エルヴィスの妻だったプリシラの瞳に魅了されて、ヒット曲「Dreamy Eyes」を書いたといわれている。

エルヴィスの歌で一番好きな歌はという質問にジョニーは・・「だんぜん<ザッツ・オール・ライト>がベストだね。即効性に富んで入るし歌い方だけでなくこえそのものが非常にユニーク」と答えている。

ジョニー・ティロットソンはいつも爽やかな万年青年に見える。高校時代に友達の女の子が彼のレコードを聴かせて「いい歌だね」言っていた事を思い出した。それが「キューティ・パイ」のレコードだったと思う。ご機嫌なロックン・ロールで猫も好きになった歌だ。このころはジョニーの人気は日本でも高く「ポエトリー・イン・モーション」もヒットしたし、「涙君さようなら」の日本語も話題になったくらいだ。
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アメリカでは「ポエトリー・イン・モーション」は全米2位の大ヒットだが、日本ではちと事情が異なって「キューティ・パイ」の人気が高かくレコード・セールスも良かった。またこの曲はアメリカではヒットしない日本のみのヒット曲でもある。

現在彼の音楽活動はカントリーの世界で頑張っているとか・・・いずれにせよポップス・ファンは彼の名前は忘れないであろう・・と猫は一人そう願っています。

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Category: pops

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今夜はひとりかい
この曲のオリジナルはとても古く1926年の作品である。エルヴィスはマネージャーの奥さんからのリクエストに応えたものである。録音日は1960年4月4日で、テネシー州ナッシュビルRCA Studio Bで録音している。そのほかに8曲レコーディングしている。「奴の彼女に首ったけ」「きっと帰ってくるからね」「すさんだ気持ち」「恋のスリルに比べれば」「アイ・ガッタ・ノウ」「サッチ・ア・ナイト」「隣のあの娘」「考えなおして」の8曲でこれらの曲は「アイ・ガッタ・ノウ」以外は除隊後の最初のアルバム「ELVIS IS BACK」に収録されています。このアルバムは非常に完成度の高いアルバムでお薦めのアルバムです。
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エルヴィスの甘くセクシーな歌い方と、途中のセリフでヒットの結びついたとも言われているバラッド・ソングです。当然、全米1位になり6週間トップの座を守った。

さて、この曲はボツになる寸前だったのです。理由は録音時にエルヴィスが気分を高揚する為にスタジオの灯りをすべて消すように命じ、セッションは暗闇の中で進行していましたが、なんせ、真っ暗なのでこの曲のハイライト言うべき<セリフ>の時、コーラス・メンバーの一人がマイクに触れてしまい、雑音が入ってしまいました。昔は今と違って一発録りなのでバック・コーラスの音だけ訂正は出来ません。

エルヴィスは何回かテイク録りしていましたが、納得するテイクが録れなくなり、とうとう、エルヴィス自身が、エンジニアに向かって・・もうやめよう・・と訴えました。エルヴィス自身もう気分が乗らなくなったのでしょうね。でも、エンジニアはエルヴィスに向かって「もう一回だけ試してみようよ」とエルヴィスをなだめ説得し、エルヴィスもこれを受け入れ最後の録音が始まりました。これが、シングル・レコードになって発売されたものです。エンジニアの一言がなければ正に<ボツ>になっていたかもしれませんね。この録音の功労者のエンジニアの名前は「ビル・ポーター」と言う人です。

この曲のアンサー・ソングも多数出ましたが、これと言った作品は有りませんでしたが、ドディ・スティーブンスの「Yes I’m Lonesome Tonight」がマァマァの作品かな。


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Category: ロックン・ロール

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ダイナマイト・・・・クリフ・リチャード
初めて聴いたのが高校3年のときで、レコード店のお姉さんから聴かせてもらったと記憶している。
聴いたとたんあの低音の出だしの音で、即購入しました。正にダイナマイトにふさわしい曲だと感じた。
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この曲は何回も聴き一時入れ込んで聴いたものです。当然バック演奏は<ザ・シャドウズです>
この当時バック演奏には興味もなく<ザ・シャドウズ>の存在も知りませんでした。

クリフにしてはエキサイティングな歌い方しています。バックの演奏とクリフの歌が素晴らしいです。
出だしからロックン・ロール大爆発です。歌い方がエルヴィスに似ているかなと・・一気に歌いあげるクリフと、それを支える演奏はシャドウズのレパートリーの中でも、ストレートにロックン・ロールしている演奏だと思う。特に間奏がいいね。この手の音楽は最高だね。
こんな素晴らしい演奏するシャドウズはアメリカでは全く見向きもされませんでした。USポップ・チャートに一曲もチャート・インしませんでした。

クリフさえ1976年に発表した「デビル・ウーマン・・・US #6」が大ヒットしてやっと認められたわけですから。最初のUSランクされた曲は1959年「Living Doll」の30位で、決して納得できるランクではありません。イギリスでは1位になった曲ですからね。

それに、2008年9月までのUSランキングした曲は全部で12曲、トップテン入りした曲は「Devil Woman」「We Don’t Talk Anymore」「Dreamin’」の3曲だけ。本国イギリスでは1位は14曲もあるというのになんだこの違いは・・それもこれらの1位の曲はほとんどアメリカではチャートインしませんでした。但し、「We Don’t Talk Anymore」は例外ですが。英国の帝王もアメリカではあまりにもさみしい結果ですね。

それに、クリフはエルヴィスと会えるチャンスをキャンセルしたという事です。理由は「太っているエルヴィスには会いたくない」という事でした。クリフは今後悔している気持ちで一杯だそうです。そりゃ~そうだろうと思います。猫なんか何を差し置いてもエルヴィスに会いに行きますね。離婚してまで(嘘ピョ~ン)

彼のヒット曲「On The Beach」の吹き込みの時、体の調子が芳しくなく、R側のスピーカーのレベルを最大に絞って聴くと「コホン」と咳き込んでいる声が入っています。風邪でも引いたのでしょうか?
歌手は体が資本ですからね・・猫も・・

P.S・・ このダイナマイトは1965年に発売されましたが、レコードのライナー・ノーツには「本邦初登場」とコメントしてありますが、それは、間違いで1960年に日本コロムビアから「スクールボーイ・クラッシュ」とカップリングで発売しています。下の写真が当時発売したレコードです。
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Category: ロックン・ロール

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パイプライン・・・・ザ・シャンティーズ
本来パイプラインとは油・ガスを送る送油管のことで、それがサーフィン用語になると大きな波が瞬間的に輪状の空洞を意味します。「輪状の空洞」が太い送油管に似ていることから名付けられたのでしょう。
ザ・シャンティーズ

イントロの「テケテケ・サウンド」の正式な名前はトレモロ&グッリサンドと言います。
「パイプライン」はこの「テケテケ・サウンド」が全てです。これなくして「パイプライン」は存在の意味がありません。

さて、<サーフィン>とは何か?Surfingの<surf>な寄せる波という名詞を動詞化して<ing>を付けたもので、これが転じて・・・波乗り・・・を意味することらしいです。つまり、サーフィン・ミュージックは波乗りからヒントを得て作られた音楽です。で・サーフィン・ミュージックの基本のリズムはロックン・ロールから成っています。もちろんホット・ロッドもそうです。

ここから派生したアーティストはと言うと、まず、サーフィン・ミュージックの第一人者の「ザ・ビーチ・ボーイズ」、「ジャン・アンド・ディーン」「ディック・デールとデル-トーンズ」「サファーリス」「ブルース・アンド・テリー」「ブルース・ジョンストン」「ギャンブラーズ」「マーケッツ」などがいます。

その中でも忘れられないのがザ・シャンティーズで彼らのオリジナルの「パイプライン」は1963年5月4日付で全米4位の大ヒット曲になりました。彼らのヒット曲は後にも先にもこれのみで、一発屋で終わってしまった。これが彼らの全てです。来日して公演もしましたが、好評だったという噂は聞いていませんが。

当時の音楽業界は、この手の音楽をどう紹介していいか分からないので、「エレキ」と紹介していたそうです。「エレキ」とくれば、もうベンチャーズで人気、実力、演奏技術共にシャンティーズよりも上で注目されていました。

日本では「パイプライン」はベンチャーズのオリジナルと思った人もいたと思います。それだけ、ベンチャーズの印象が強かったという証拠ですね。ベンチャーズは別名「頂きやベンチャーズ」と言われていてオリジナルを超える作品に変える強みを持っていたんです。だから、シャンティーズよりもベンチャーズの「パイプライン」が有名になってしまったと思っています。
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もう一度言います。「パイプライン」のオリジナルは<ザ・シャンティーズ>です。

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Category: pops

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悲しき16才・・・・ケーシー(キャッシー)・リンデン
カマトト・ソングの代名詞みたいなこの曲は、アメリカでは全く話題にもならず、当然ヒットもしませんでしたが、だが、ところ変わればヒットしない歌もヒットする事もあります。それが「悲しき16才」で、わが国では1960年ごろヒットしました。4月にはヒット・シングルの1位に輝いています。♪ヤヤヤヤヤ~とイントロから始まるところは印象的です。また、この曲は木琴の演奏もはいっています。約50年経った今でもこの曲は男性ファンには人気があり根強い支持があります。
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この歌を初めて聴いたのは中一の頃でしたね。歌っている歌手は分かりませんでしたが、この歌はなぜか記憶がありました。この時。ケーシーは何と21才で結婚もしていたし、子供も( ビリー)もいました。
この事実を知った時は、ちょっとショックでしたね。なんか裏切られたというか何というか、そんな気持ちでした。

彼女の歌は男性名の歌が多いです。「ジミー」「ジョニー」「ビリー」とかあります。彼女の最大のヒット曲は「ビリー」で全米7位の記録があります。次に「グッバイ・ジミー・グッバイ」が11位です。

彼女みたいに本国でヒットしない歌が、日本でヒットする歌は沢山あります。
「恋の片道切符」「G・Iブルース」「涙の日記」「ルイジアナ・ママ」「恋はスバヤク」「レッツ・ゴー物語」「愛しのラナ」「燃ゆる想い」などなどあります。

 また、「16才」というタイトルも沢山あります。「すてきな16歳」「あの娘は16歳」「16個の角砂糖」「涙の16才」・・・この歌は「すてきな16才」のアンサーソングだったようです。「スウィート・リトル・シックスティーン」、「16本のロウソク」、渋いところではテネシー・アーニー・フォードの「16トン」などが有名です。

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Category: 記事

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今日の一曲
1月から始めた「今日の一曲」が50曲になりました。これも皆さんが応援してくれているお陰だと感謝感謝です。始めたころはランキングには関係なく自分の好きな曲がコメントできればいいな~と思った次第です。あくまでも趣味のブログですが、今でもその気持ちは変わってはおりませんが、人間とはかってなもんで、ランキングが上位にあがれば欲が出てくるもんです。

猫のテンプレートは人気ある皆さんから比較するとシンプルだと思っています。それも借りものですので、個性的なテンプレートではありません。ただ、猫のオールディーズに対する熱い気持ちが少しでも
感じて頂ければ嬉しいです。

これから、100曲を目指してベストを尽くしますので、これからどうなるか先のことは分かりませんが、「Oldies But Goodies Jukebox」をよろしくお願いします。

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Category: ロックン・ロール

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ビー・バップ・ア・ルーラ・・・・ジーン・ビンセント
 1935年2月11日バージニア州ノーホーク生まれ。海軍時代オートバイで左足を大けが負う(これがCrazy Legsの異名をとる)。1956年2月地元のタレント・コンテストに歌手として参加し優勝した。この時に歌ったのがエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」。丁度そのころ大手レコード会社「キャピトル・レコード」で、「第二のエルヴィス」を探している情報をキャッチしたプロデューサが、キャピトルに猛烈に売り込んだ結果、めでたく契約が結ばれた。

 さて、キャピトル・レコードと契約できたジーンはプロデューサーと曲作りにとヒントにしたのが、ザ・ドリフターズのデビュー曲「マニー・ハニー」をベースにし、彼の記念すべきデビュー作「ビー・バップ・ア・ルーラ」を発売した。その結果全米7位の大ヒットを記録した。彼はこの一曲で一躍人気ロックン・ローラの仲間入りができだが、これが後にも先にもこの曲を上回る作品が出てこなかった。ヒット曲は僅か4曲のみ。
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 彼はアメリカからに欧州に活動の場を求め、ハンブルグでその当時、まだ無名だったザ・ビートルズをバックにしながら活動していた。彼はエディ・コクランと仲が良かった。そのエディとイギリスで事故にあい、エディは亡くなり、ジーンも大怪我を負った。そんな彼も病には勝てず1971年10月12日36歳の若さで生涯をとじた。
ジーンとビートルズ

 猫はタレント・コンテストに参加した時は上記の記事とは違う情報を持っていた。それは、コンテストの時彼はエルヴィスの歌ではなく、オリジナルを歌って優勝したと聞いている。オリジナルを歌ったのはジーンともう一人の二人のみ。さてどっちが真相なのか分からないが、どうも、後者のほうが真実味がある。

 ジーンは言っている「私の音楽はエルヴィスト違う」と言っているのだから、エルヴィスの歌を歌わないと思うのが反抗精神溢れるジーンらしいと思うのだが。

エピソードとして、エルヴィスの母親がエルヴィスにヒット曲を祝う電報を送っている。それは「ビー・バップ・ア・ルーラ」のヒットを祝う電報だったのだが、ジーンの歌い方が、エルヴィスに余りにも似ていたため勘違いしたのが事の真相だ。

また、1958年当時の記事としてこう解説している・・・「プレスリー節をいち早くマスターして徹底的に
これを売り物にした、彼の「ビー・バップ・ア・ルーラー」は正に傑作でした。正し、其の後にヒット盤が続かず、僅かに「ブルージーン・バップ」あたりがマークされただけで話題から遠ざかっていったのは、これは模倣品の弱さでしょう・・と解説しています。・・その当時の音楽状況が分かりますね。解説の仕方は現在ではこのような解説は見たことないですからね。

 ところで「Be Bop A Lula」のタイトルはロックン・ロールしているタイトルと思いませんか?

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Category: pops

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ドリーム・ラバー・・・ボビー・ダーリン
 ボビーは第二のフランク・シナトラを目指していたんだろうか?<三文オペラ>が元歌の「マック・ザ・ナイフ」を九週間ビルボード誌1位を長期間トップに君臨した。

 彼はデッカ・レコードで5枚のレコードはすべて失敗に終わった。次の契約先のアトコでも芳しくなく、最後のレコードのつもりで吹き込んだ「スプリッシュ・スプラッシュ」がボビーも予想もしなかった全米3位の大ヒットになった。彼自身の最初のヒット曲である。この曲はボビーの友人の母親のヒントで作り上げた作品である。ここから彼の快進撃が始まる「クイーン・オブ・ザ・ホップ・・US9位」
「アーリー・イン・ザ・モーニング・・US24位」そして、「今日の一曲」の<ドリーム・ラバー・・US2位>はこれぞ、オールディーズ・ポップスの永遠の名曲だと猫はそう信じています。いつ聴いても新鮮な感じを受けます。猫のお気に入りベスト10にインプットされています^^どちらかというとポップス・ファンは「マック・ザ・ナイフ」よりも人気が高く支持されているようです。
ドリーム・ラバー

 そんな彼もイギリスの襲来には勝てず、ヒット曲も減り行き詰ってしまい、1966年「イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター」のヒットを出すのがやっとだった。彼は1973年12月20日心臓発作で」帰らぬ人になってしまった。

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Category: ロックン・ロール

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夢のハワイ・・・ザ・ビーチ・ボーイズ
 「今日の一曲」は、ボビー・ダーリンかブレンダ・リーにしようかな?でも気分が乗らないからやっぱ
やめよう。で・何にしようかなと色々考えた末に、ザ・ビーチ・ボーイズでも如何かな。
 猫が主に聴いているのは1964年かだ65年ぐらいまでで後は泡の立たないビールみたいで、ノー・サンキュウね。実際、手元にあるレコードの殆どは初期のアルバムばかりで、名盤と言われる「ペット・サウンズ」以後のアルバムには興味ありません。「ペット・サウンズ」はブライアン一人で作ったレコードだとも言われているので、メンバー間では不満が募っていた。やっぱし彼らはサーフィン・アンド・ホット・ロッドが最高でこれこそビーチ・ボーイズ・サウンズなのです。

 それ故に何だかわけのわからない「グッド・バイブレーション」は彼の最高傑作なんて言いません。それと、「英雄と悪漢」なんて難しくって何が何だか・・・分かりません。
アルバム「Surfin’ USA」に挿入曲の「Misirlou」「Let’s Go Trippin’」の演奏は、ディック・デールの方が数段素晴らしい。所詮、猫のセンスのこんなもんです
 
ブライアンはフィル・スペクターから多重録音を習得し、ビーチ・ボーイズの音楽的貢献しましたが、ビートルズの「ラバー・ソウル」でいままで経験したことないプレッシャーに遭遇することになる。これが、ブライアンの精神障害の遠因になったかもしれない。
夢のハワイ

ザ・ビーチ・ボーイズの最初に聴いた音楽は何だろうと考えていたら、おそらく「夢のハワイ」だと記憶しています。この曲を聴いた時はただ単に心がうきうきするような時めきと、音楽自体ものすごくセンスのある作品だと感じた。彼らのウリのファルセットをフィーチャーした典型的なサーフィン・サウンドです。その当時海外旅行なんて、夢の夢で遠い存在に思えた時代であった。
いつか行きたいと思っていたハワイには新婚旅行で夢が叶いました。空から見たハワイはこの世のパラダイスかと思うほど綺麗だった。

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「Don’t Worry Baby」「In My Room」「Fun Fun Fun」「Do You Remember」「Dance Dance Dance」「409」がかっこいいな~と思う作品です。

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