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  03 ,2009

シングルジャケット
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エルヴィス猫

Author:エルヴィス猫
FC2ブログへようこそ!
還暦を過ぎた親父が作ったブログです。10代の頃から、
自称エルヴィス「命」の大ファンで、その熱い想いはいまだ冷めておりません。このブログで通じて皆さんと楽しく交流が出来ればいいな~と思っています。

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Category: 歌謡曲

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番外編その2 火の接吻・・・田中久美
1960年代を意識したオールディーズ風歌謡曲で彼女自身のオリコン最高位を獲得するが、これがラストシングルとなった。英語に訳すと<Kiss Of Fire>。その昔、大歌手ジョージア・ギブスが大げさな歌い方でドラマチック仕立てで歌っていましたが、久美ちゃんはそこまではいっていませんが、オールディーズ風な感じに歌っています。結局4枚のシングル盤を出したが、通して大ヒットに恵まれなかった。歌もいまいちでしたが、でも、そんなことどうでもいいんです。可愛いければ!・・なんのこちゃと反論が聞こえてきそうですが、アイドルに注文をつけてはいけません。猫が久美ちゃんと同じ年齢だったら、追っかけをしていたね、多分・・
火の接吻

猫が一番参ったところはあの吸い込まれそうな<魔性の瞳>。あの瞳に吸い込まれたら二度と這い上がれない底なし沼みたいに深いんです。猫ちゃん吸い込まれた~い。今回は大分取り乱しています。いいんです、取 り乱しても自分さえ良ければ^^
でもいつの間にかTVから消えフェード・アウトしてしまった。その後は芸能界を引退して、実家の福岡に帰って、地元の大手のデパートに就職し、結婚しバツイチを経験しました。今はライブ活動して活躍しているようで、元ファンだった者として一安心です。良かった良かった^^

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27

Category: pops

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Navy Blue Diane Renay
 1964年のヒット曲、全米6位の大ヒット曲で、彼女の代表作でもある。
彼女はフィラデルフィアの出身で、女優を目指していたが、フォー・シーズンズなどのプロデュースをしていたボブ・クリューと出会い、1964年<Navy Blue>が大ヒットを放った。
・歌の大意は彼が海軍に入隊して、海外に船出して乙女心の寂しさを歌ったパンチの効いた?オセンチな内容です。
写真のジャケットを見ると随分落ち着いた腰つきで、新婚まもない若奥様風に見えますが、このときまだ花も恥らう18歳の乙女でした。とてもそんな風に見えないね。
navy blue

この曲と似たようなセカンド・シングル<キス・ミー・セイラー・US 29位>もヒットするが、これ以降ヒット曲には恵まれず、歌手生命は短かった。ヒットしなかったが<涙のサリー・・Watch Out,Sally><Billy Blue Eyes>などもあります。


日本では伊藤アイコ、伊東ゆかり、九重裕三子がカバーする。

このレコードは頂いたもので、ジャケットに皺があったので、アイロンをかけたら綺麗になって新品同様になったものです。

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Category: pops

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Mr,Baseman・・Johnny Cymbal
 1963年のヒット曲。わが国のヒットパレードにも歌われていました。ダニー飯田とパラダイス・キング、麻生京子さんがカバーしています。私の記憶に間違いがなければ、踊る指揮者として有名なスマイリー小原さんが、この曲を渋い低音で歌っていました。彼を始めてみた時ビックラしました。なぜって、ツイストしながら指揮を取っているんですよ。なんだ、こいつはふざけているんじゃないかと思った程でした。指揮者と言えばただ黙々と動かず指揮を執るのが普通でしたが、スマイリーさんはその常識を打ち破りました。なんでも、今までやったことのないことをやると、必ず批判、中傷は付き物ですね。

 大幅に横道をそれてしまいましたね。オリジナルのベースマンは非常に明るく楽しいハッピーな作品に仕上がっています。この曲は実際のベースマンを歌った作品です。また、カバ―レコードもありますし、この曲をモチーフにした<ベースマン・タイプ>の曲も沢山あります。結構人気があった歌なんですね。この曲の後に出した「僕のマシュマロちゃん」も楽しい曲です。
 Mr,Baseman

 ジョニー君の歌手活動は短命でしたが、いい曲は結構ありますので、興味もった方は<you tube>で検索して観て下さい。


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Category: ロックン・ロール

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Roll Over Beetoven (ビートルズ盤)
 この曲を書いたのはJohnny B Goode(US8位),Sweet Little Sixteen(US2位),Rock And Roll Music(US8位 )のヒットを放った、黒人ロックン・ローラーチャック・ベリーの作品。
彼はビートルズが登場するまでは本国アメリカでは高く評価されていなかった歌手だった。
でも、イギリスのロック・グループが彼の曲を好んでカバーしている。
例えば、ザ・ローリング・ストーンズは<Come On>、ザ・デーブ・クラーク・ファイブ<Reelin’ And Rockin’>、ジ・アニマルズ<Memphis Tennessee>、また、ジョン・レノンは<You Can’t Catch Me>など。これらの歌手のおかげで、アメリカでもチャックの見る目と評価が変わった。

 <ロール・オーバー・ベートヴェン>はUS29位と成績は振るわなかったが、セールス的には100万枚売り上げている。この曲をザ・ビートルズ(US68位)が取り上げている。猫はチャック盤よりもビートルズ盤が好きだ。彼らは下済み時代にこの曲を数え切れないほど演奏したことだから、なんか、軽く演奏してる風に感じられるし、お手の物いわゆる十八番の曲だね。リード・ボーカルのジョージもこなれた感じでロックン・ローラーらしく?任しておけって感じでスッキリした黒っぽさの歌い方がいいね。
roll over Beetoven

 日本盤は<Twist And Shout>とカップリングされているが、US盤は日本でも人気があった<Please Mister Postman>とカップリングで発売。

 ビートルズの最高のカバーはなんていたってA面の<Twist And Shout>これはすごいよ。
この曲も後で解説したいと思っています。

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Category: R&B

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I Got A Woman
レイ・チャールズはソウル、ブルース、R&B,ゴスペルなどの幅広いジャンルを歌いこなす、アメリカン・ミュージック界の巨人と称されスーパースターである。
また、カントリーソングにも挑戦し新たな境地を開いた。

アトランティック・レコードから1955年発売した「I Got A Woman」はR&B部門で1位にはなったが、ポップス部門ではヒットしなかった。
しかし、エルヴィスを始め多数の歌手が吹き込んだ。ポップス部門ではリック・ネルソンが2番目にヒットを放った。数あるカバーの中で一番聴き応えがあるのはエルヴィス盤である。まさに、ブルースをロカビリーに見事変身させている。エルヴィス盤を多くの歌手が真似をしてカバーした。
レイはエルヴィスが「I Got A Woman」を歌うのは快く思っていなかったと言っていた。
I got a woman a


レイチャールズは6歳で失明したが、目がみえないというハンディを乗り越えピアノを学び、全米1位3曲( I Can't Stop Loving You,Georgia On My Mind,Hit The Road Jack)
トップ10内11曲のヒットは素晴らし大偉業だと思う。最初の大ヒットは「What'd I Say (何と言ったら)1959年」。このレコードも多くのロックン・ローラーに取り上げられ、カバーレコードも多い。」


尚、サザンのカバー「Ellie My Love」はオリコン3位に入ったが、日本で人気があるのは「わが心のジョージア」だと思う。このレコードをハンティング出来たら載せたいと思っています。
何しろ“ブラザー・レイ”の作品は珠玉の作品が多い。できたら、you tubeで彼の作品を聴いてもらいたし聴いたら圧倒されるのは目に見えているから。


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Category: 歌謡曲

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番外編その1・・涙のイタリアン・ツイスト
涙のイタリアン・ツイスト・・歌手 早川英梨  レコード会社・・コンチネンタル
涙のイタリアン・ツイスト


 オールディーズの香りがするエレキ歌謡。発売は昭和59年ごろかな?
このレコードはオールディーズ雑誌「フォーエバー」に紹介してあったので、もの好きな猫は早速近所のヨーカードーのレコード店に行って、えさ箱を探してたらありました。一人静かに心の中で「ヤッター」とガッツポーズをとったのであります。

ターンテーブルに載せて聴いてみたら、予想以上の出来のよさに、感涙したものです(嘘です)
一発でこの曲の虜になってしまって、何回も何回も聴き狂った。本当にこれこそ、エレキ歌謡の決定盤
だと、猫のレコードランキング第1位に輝きました(日本盤に限定)

このレコードはKさんの歌謡曲専門雑誌「リメンバー」に恥ずかしながら、投稿していました。
原文そのまま掲載しますので、笑ってやってください^^

  このレコードの存在を知ったのは雑誌「フォーエヴァー」、そして、解説していたのがK氏でした。
イヤハヤなんともいい曲です。A面の「霧のリバープール」は聴かないで、B面に針を落とした瞬間「アーなんてすばらしい曲なんだ」。このレコードを聴いている時間私の心は1960年代に戻ってしまった。もう感動と喜びに体中が打ち震えていた。

 B面にはもったない、ホントに! いまどきこの手の作品自体出るのが奇跡に近い。
この作品を書いた大津あきら、西木栄二氏はやっぱり少年時代はアメリカンポップス大好き人間
だったのでしょう。ではなくてはこんなクサイ曲は出せませんよ。このレコードは日本エレキ歌謡史上
永遠不滅の金字塔です。

 とまぁ、こんな感じで夢中になって書きました。2位の曲も1位と甲乙つけがたいいい作品ですが、この曲はまた後で紹介します。

なお、この曲はyou tubeにアップしていませんので、聴くことが出来ません。残念!!
時々、この手の感じで番外編としてアップしますので、よろしくね^^

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Category: pops

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愛しのラナ
愛しのラナは1963年に発表された曲。50年代末にテキサス州オデッサの高校教師バージル・ジョンソンと、生徒4人で結成された黒人のグループ「ザ・ベルベッツ」が1963年から64年にかけて大ヒット。
この曲は「オー・プリティー・ウーマン」「オンリー・ザ・ロンリー」「ランニング・スケアード」などのヒットを放ったロイ・オービソンが彼らのために書いた作品で、アメリカではラフ(全米90位)のB面に発表された。ロイ自身も歌っているが、猫はどちらも好きですが、ノリのよさと楽しさはベルベッツに軍配が上がる。
この他に「夢のお月様・・Tonight」が,ラナのヒットのおかげで便乗ヒットしました。
P1010546Lana.jpg

愛しのラナと夢のお月様

「愛しのラナ」はアメリカではヒットしませんでしたが、日本では馬鹿受けしポップでノリが良かったため、約半年以上の長期に渉るヒットとなりました。今までいろいろな黒人グループが日本に紹介されたが、例えば「ザ・ドリフターズ」「ザ・フォー・トップス」「ザ・コースターズ」「ザ・シュープリムス」「ザ・ロネッツ」など話題にはなりましたが、このベルベッツの人気には程遠かったような感じがします。

1963年は日本のみのヒット曲があります。例えば・・
キューティ・パイ(ジョニー・ティロットソン)
ルート66(ジョージョ・マハリス)
イチゴの片思い(ナンシー・シナトラ)
などがあります。また映画音楽の主題歌も話題になりました。

1963年の国内最大のヒット曲は「悲しき雨音」がダントツに人気があった年でもあります.次はリトル・ペギー・マーチの
「I will follow him」かな。1963年のアメリカン・ポップス界は非常に興味がある年なのであとでまたお話します。



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Category: ロックン・ロール

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I Need Your Love Tonight
I need your love tonight e
エルヴィス全録音の中でも最高傑作の一つ、「I Need Your Love Tonight」は,
エルヴィス初の8ビートの曲だ。エルヴィスは歌を歌うのが楽しくってという感じで、躍動感、若さをはちきれんばかりと思うほど、ストレートに歌い上げている。これぞ、ポップン・ロールの元祖。

ジャケットに記入している日付はエルヴィスの重要な出来事です。このジャケットは別名「カレンダー・ジャケット」とも呼ばれている。
この作品は入隊の休暇中に吹き込んだもので、この曲のほかに「A Big Hunk O’Love(恋の大穴)」
「Ain’t That Loving You Baby(ラヴィング・ユー・ベィビー)」「A Fool Such As I(素晴らしい曲です)」「IGot Stung」と1958年6月10日から11日に」かけて録音。

またこのリード・ギタリストはエルヴィスがデビュー当時からバックで弾いていた、スコッティ・ムアーの代わりにハンク・ガーランドが担当しています。彼はジャズを弾いていた人のようですが、
カントリーにロックをR&Rを導入したしてと有名になっています。
彼の実力は「エルヴィス・ゴールデン・レコード・Vol・2」でいかんなく発揮されています。
それが上記に明記した5曲です。

「エルヴィス・ゴールデン・レコード・Vol・2」は、エルヴィスのアルバムの中でも、お気に入りのベスト・3の1枚です。なんてたって、ロックン・ロールの魅力がぎっしり詰まっているし、
エルヴィスの野生の魅力がこの1枚で堪能できます。
5曲以外にロックン・ロールの「Wear My Ring Around Your Neck(思い出の指輪)」これは、エルヴィスが叩きこむような歌で一気にエンディングまでに突っ走るGreeeeatな曲です。

ということで、久しぶりにエルヴィスの事を書き込みしましたが、猫が思っている程の半分も思いが書けませんでした。ホットモットちゃうちゃうモットモット勉強しなくては反省しきりです。

テンプレートを替えました。もうすぐ桜の季節になるので・・

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Category: ロックン・ロール

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Rock Around The Clock
ビル・へイリーはもともとカントリ畑の出身で、ビート感強く躍動感溢れる音楽を求めていた。
彼は1952年エセックス・レコードで「Crazy Man Crazy」を初ヒットさせた。

1955年映画「暴力教室」の主題歌「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が若者に歓迎され、全米No1の大ヒットになった。この1曲でポップス界はロックン・ロールへと動き出した。
この曲はロックン・ロールへ出発点の黎明期に当たる重要な作品だと思うし、ポップ史上永遠不滅の
作品だ。人類が生存する限り語り継がれていく、ロックン・ロールの名曲だ。ポップス・ファンはこのことを忘れてならないと思う。

ロックン・ロールのルーツを遡ると、ジャッキー・プレンストンの「ロケット・88」がロックン・ロール最初の曲だとされているが聴いた限り、ヘイリーのほうがストレートで軽くリズム感があるし、ビート、ジャンプ溢れる作品になっている。

オリジナルはソニー・ディーが1954年に発表しているが、こちらの曲はいまいちノリがなく、少しジャズっぽい感がする。
まぁ、この曲でビル・ヘイリーと彼のコメッツはエルヴィスが現れるまで全米No1のロックン・ロール・スターとなった訳だ。彼らグループの活動期間は短く1955年から1957年までで、何しろ、ロック・アラウンド・・が偉大すぎて後のこの曲と肩を並べるヒット曲はない。
これだけの大ヒット放ったにもかかわらず彼らはエルヴィスのような大スター扱いはされなかった。ちょっと、可哀想だね。

彼らグループはアメリカからイギリスへと活動の場所を変えた。なにしろ、イギリスの歓迎振りは、
エルヴィスをしのぐ人気者だった。

やがて、ライブを見たファンは現実のヘイリーを見てガッカリすることになる。
それは、ヘアースタイルが横山ノック、体形も親父みたいでエルヴィスみたいに、ハンサムでもない彼にガッカリしたのだ。でも、今でもイギリスでは人気がある。
Scan10012.jpgロック・アラウンド・ザ・クロック



世界35カ国140以上のバージョンが発表されていると・・
彼の音楽はダンス・ミュージックに終始したようの思われる。だから、エルヴィスが登場して、時代の流れについていけなかったことが、活動の場をアメリカからイギリスへと求めたのかもしれない。

尚、Rock And RollはクリーブランドのDJアラン・フリードが名付け親。
彼は1952年黒人専門局ラジオから「ムーンドッグ・ロックン・ロール・ハウス・パーティ」を流していた。

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Category: インストメンタル

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霧のカレリア
旧ソ連が1957年10月4日人類史上初めて人工衛星打ち上げに成功しました。アメリカは地団駄踏んで悔しかったでしょうね。おまけに有人衛星もソ連に先を越されてしまいました・・しかし、1969年にアメリカの面子は保ちましたが。で・この衛星は直径58cmと小さく可愛いらしいので、衛星の名を「スプートニクス」と名付けました。そして、この名をグループ名にしたのが、今回取り上げたスウェーデン出身のインスト・グループ「ザ・スプートニクス」です。

霧のカレリア

サウンドの特色は「スペース・サウンド」と呼ばれていましたが、いま思うと
どこが???ですが、当時としては斬新な音楽だったのでしょう。北欧サウンズは彼らみたいな旋律が多いです。お隣の国のフィンランド出身のザ・サウンズの「さすらいのギター」もそんな感じの曲作りです。

さて、「霧のカレリア」は日本人の心情にとてもあったのでしょう、今もってこの曲は人気がありますし、この曲で日本の人気を不動のものにしました。曲の途中に笑さんが言うようにロシア民謡の「トロイカ」が聴こえます。これが、日本人に受け入れられた要因の一つだと思いますが・・・猫もこの曲は大好きで時々聴いています。これと似たような曲にフィネーズというインスト・グループが「哀愁のカレリア」を発売して。「カレリア戦争」としてもめました。

彼らの日本デビュー盤は「ザ・ロケットマン/ヘイ・グッド・ルッキン」ですが、グループ名が「スポットニックス」と紹介されています。読めないことはありません(笑)
面白いですね。またここで、なぜ、B面がカントリーの曲を選んだかわかりませんが・・・

彼らは宇宙服のユニフォームはを嫌っているようでした。確かにあのユニーフォームでツアーをするのは抵抗があったでしょう。

1964年リンゴ・スターが扁桃腺手術のため、急遽、ジミー・ニコルが代役になりました。ビートルズのメンバーとして活動したのは、15日間ですが、1965年スプートニクスに加入したときは、ちょっとした話題になりました。

彼らは国内シングル盤25枚以上発売しています。結構出していたんですね。

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