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  05 ,2017

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エルヴィス猫

Author:エルヴィス猫
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還暦を過ぎた親父が作ったブログです。10代の頃から、
自称エルヴィス「命」の大ファンで、その熱い想いはいまだ冷めておりません。このブログで通じて皆さんと楽しく交流が出来ればいいな~と思っています。

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King Of The Surf Guitar・・・Dick Dale And The Del-Tones
 king of the surf guitar Dick_Dale1.jpg

ビーチ・ボーイズの中で一番のお気に入りの歌は<夢のハワイ>です。
本当にこの当時はハワイに行くなんて夢また夢の話でした。
その昔、岡晴夫さんの<あこがれのハワイ航路>とい歌がヒットしましたが、正にその通りでした。

この曲は高校時代にラジオから流れてきて、アメリカの香りがしていました。
日本の歌と違ってセンスがあってハイカラ(死語ですね^^)な音楽だと羨ましく聴いていました。
彼らの音楽の中ではやっぱりSurfin’ and Hot Rodのスタイル曲が一番いいです。
グッドバイ・ブレーションは猫には難解すぎて分かりません。

 さて、ビーチ・ボーイズの話はこれくらいにして、以前から忘れっぽくなっています、それも重症みたいです。年を重ねるとこうなるんだとつくづく思い知らされました。
昨日も友人とそんな話になり、「年はとりたくないな~」と親父3人でそんなことで盛り上がって。
確かに猫は今62歳でママ猫と子供達から「パパ、頼んでいたものどうした~」と聞かれ猫は「?」状態です。困ったもんです。生活に支障が出ないだけ救われてはいますが。
さてどうでもいいような話題はこれでチョン!

 <今日の一曲>はなにがいいかな~と考えた末、サーフィン・ミュージックの創始者の”King Of The Surf Guitar” 異名を持つディック・デール・アンド・ザ・デルトーンズの<King Of The Surf Guitar>です。
彼は1959年彼の父親が経営しているDel-Toneレーベルから、<Ooh-Wee Marie/ Breaking Heart>でデビューを果たしましたが、ヒットはしませんでした。
彼は1963年大手のキャピトル・レコードと契約し、デビュー一作目の<Have Nagila>とカップリングで
リリースしましたが、なぜかヒットはしませんでした。これだけの実力を持ちながら、全国ヒット曲はLet’s Go Tripiin’( # 60)とThe Scavenger( #98)の2曲のみと寂しい感じがします。
おそらく、これはキャピトル・レコードの売り方が失敗したんだね。宝の持ち腐れとはこの事いうのか
惜しい事したもんだ。

この曲は女性のコーラスが入るので純粋な意味でのインスト・ミュージックとは言えませんが、それを除けば真に素晴らしい、インスト・サーフィン・ミュージックの一言に尽きます。
彼らしい豪快な演奏ですし、数あるインスト・ナンバーの中でも大好きな曲です。
彼等はビーチ・ボーイズと比較するヒット曲も少ないし、国内の知名度も低いです。  
 しかし、マニアの中では依然として人気が高いグループです。


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レッド・リバー・ロック・・・・・ジョニー・アンド・ザ・ハリケーンズ
インストルメンタル・ロック・ファンの間では、今でも根強い人気を保っているグループが、ジョニー・アンド・ザ・ハリケーズだ。彼らグループは初期のロック・インストルメンタル・グループの代表的なグループである。
ジョニーとハリケーンズ


このグループの特色は当時としては珍しい、ハモンド・オルガンをフィーチャーしている事だ。
その当時のリード楽器はギターかサックスと相場が決まっていた。バンマスのジョニーだってサックスを吹いていたんだから。

 彼らグループのデビューは1959年ワーウィック・レコードから発売した<クロスファイア>が、HOT10023位にランクされ幸先のよいヒットを放った。そして、「今日の一曲」の<レッド・リバー・ロック>は、トラディッショナル・ナンバーの<レッド・リバー・バリー>をロックン・ロール・バージョンにアレンジしたところ1959年9月7日付で5位の大ヒットを放った。
red river rock

この作品はサックスとハモンド・オルガンが融合した素晴らしい演奏を聴かしてくれる。
ハモンド・オルガンがフィーチャーしてヒットに繋がったと思うし、ある種の<サプライズ>を期待しての作品だね。


 グループは1961年までに9曲のヒットを放つが、ベスト10内のヒットはこの一曲しかない。
1961年の<Ja-Da>を最後にヒット・チャートから消えている。

でも彼らの残した聴いていて非常に耳障りのよい心地よく聴ける<レッド・リバー・ロック>は、我々オールディーズ・ファンの消え失せる事のない永遠の名曲だ。

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霧のカレリア
旧ソ連が1957年10月4日人類史上初めて人工衛星打ち上げに成功しました。アメリカは地団駄踏んで悔しかったでしょうね。おまけに有人衛星もソ連に先を越されてしまいました・・しかし、1969年にアメリカの面子は保ちましたが。で・この衛星は直径58cmと小さく可愛いらしいので、衛星の名を「スプートニクス」と名付けました。そして、この名をグループ名にしたのが、今回取り上げたスウェーデン出身のインスト・グループ「ザ・スプートニクス」です。

霧のカレリア

サウンドの特色は「スペース・サウンド」と呼ばれていましたが、いま思うと
どこが???ですが、当時としては斬新な音楽だったのでしょう。北欧サウンズは彼らみたいな旋律が多いです。お隣の国のフィンランド出身のザ・サウンズの「さすらいのギター」もそんな感じの曲作りです。

さて、「霧のカレリア」は日本人の心情にとてもあったのでしょう、今もってこの曲は人気がありますし、この曲で日本の人気を不動のものにしました。曲の途中に笑さんが言うようにロシア民謡の「トロイカ」が聴こえます。これが、日本人に受け入れられた要因の一つだと思いますが・・・猫もこの曲は大好きで時々聴いています。これと似たような曲にフィネーズというインスト・グループが「哀愁のカレリア」を発売して。「カレリア戦争」としてもめました。

彼らの日本デビュー盤は「ザ・ロケットマン/ヘイ・グッド・ルッキン」ですが、グループ名が「スポットニックス」と紹介されています。読めないことはありません(笑)
面白いですね。またここで、なぜ、B面がカントリーの曲を選んだかわかりませんが・・・

彼らは宇宙服のユニフォームはを嫌っているようでした。確かにあのユニーフォームでツアーをするのは抵抗があったでしょう。

1964年リンゴ・スターが扁桃腺手術のため、急遽、ジミー・ニコルが代役になりました。ビートルズのメンバーとして活動したのは、15日間ですが、1965年スプートニクスに加入したときは、ちょっとした話題になりました。

彼らは国内シングル盤25枚以上発売しています。結構出していたんですね。

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太陽の彼方
ベンチャーズは<テケテケ・サウンド>、そして、今日紹介するジ・アストロノウツは<ピチピチ・サウンド>かな。
1964年に発売した<太陽の彼方>は、今まで発売した洋楽シングルレコードのセールス記録を大幅に塗り替えた空前の大ヒットになった。
太陽の彼方に


このグループは海なし県ならぬ海なし州、コロラド州のローカル・バンドで元々はエレキ・バンドではなくR&Bを得意とするグループだった。イギリスのロック・グループのデーブ・クラーク・5の前座に出ていた程度のバンドである。

ところが日本でこのレコードが大ヒットしたため来日した時、世界的な人気バンド並みに歓迎され、何をトチ狂ったか、この馬鹿グループはその気になってしまい、演奏態度がだらけているは、やるきはないわ、控え室で酒は飲んでいるわで、どうにもならない馬鹿外タレ・グループにとうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのが、かの有名な音楽評論家のF先生が、楽器まとめてアメリカへ帰れといったとか。

それで、スペシャル・ゲストが決まっていた当時人気のあった<勝ち抜きエレキ合戦>は、彼らゲスト抜きで番組が始まり異常事態まで発展したのです。
もちろんそんな風だから、コンサートも評判悪く、一緒に来ていた演奏技術のレベルが高いベンチャーズの方が人気が出てしまった。そりゃ~あたり前田のクラッカーでしょう。そんなわけで、彼らはそれ以来日本人から忘れ去られてしまった。

ポール・アンカもお行儀は悪かったらしいですが、彼らアストロノウツは史上最悪の外タレグループであった。

この、<太陽の彼方>には日本語バージョンがあり、寺内タケシとブルージンズの専属歌手の藤本好一が<ノッテケノッテケ、サーフィン、波にのれのれ>で、なんとも珍妙な歌詞で歌っていますが、、もっと驚くのは、演奏はアストロノウツの演奏でビックリしました。こんなのあり、・・と言っている猫はこのレコードを買いました。

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ダイヤモンド・ヘッド
この曲から日本で人気が出るようになったのです。そして、来日して「ベンチャーズ・イン・ジャパン>が記録的な大ヒットしました。ギター3本とドラムの構成はベンチャーズが最初です。これから、この構成でビーチ・ボーイズ、ビートルズ、シャドウズ、等のロックバンドの基本となったのです。


1960年8月29日付ビルボード2位と言う快挙を打ち立てた。ちなみに1位はエルヴィスの<It's Now Or Never>です。それから遅れる事5年後に<ダイヤモンド・ヘッド>からベンチャーズは人気が出たわけです。

とにかく、ベンチャーズ人気は凄まじくビートルズと同じ肩を並べるほどの人気があった。
また、エレキギターの生産が追いつかなくなるほど売れ、下駄屋さんまでが作るほど売れました。
また、エレキギターは不良だと言われ、足利市では<エレキギター禁止>なる条例が出る始末。

日本の歌謡曲にも作品を提供しています。
渚ゆう子<京都の恋>、和泉雅子と山内賢<二人の銀座>、牧場ユミ<回転木馬>,欧楊菲菲<雨の御堂筋>等があります。渚ゆう子の<慕情>シリーズはいい曲が揃っています。P1010507a.jpg





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