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  08 ,2017

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エルヴィス猫

Author:エルヴィス猫
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還暦を過ぎた親父が作ったブログです。10代の頃から、
自称エルヴィス「命」の大ファンで、その熱い想いはいまだ冷めておりません。このブログで通じて皆さんと楽しく交流が出来ればいいな~と思っています。

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カンサス・シティ・・・・ウィルバート・ハリソン
 彼は1929年1月6日ナースカロライナ州シャーロッテの出身で大家族(28人)生まれ。
WilbertHarrison-thumb.jpgwil.jpg

<カンサス・シティ>は、エルヴィス・プレスリー、ザ・コースターズ、ザ・ドリフターズなどに多くの作品を提供した、ジェリー・レイバーとマイク・ストラーの最強コンビの初期の作品である。
オリジナルはリトル・ウィリー・リトルフィート1952年の作品。

 最初のタイトルは<K・C Loving>でリリースしたが、全く反応がなくヒットしなかった。
それから、7年後にやっと陽の目を見ることになる。
それは、その当時まったく無名のシンガーだった、ウィルバートによって1959年フューリー・レコードで<カンサス・シティ>で発売したら、予想外の反響で同年5月18日、25とビルボード2週間1位に輝いた。R&B部門では7週間1位になっている。

 曲の感じはゆったりとしたテンポで進んでいく。ただ、ギター・サウンドはブルーズ色濃いサウンドで覚えやすい曲に仕上がっている。
この作品は人気があり、リトル・リチャード、ブレンダー・リー、ディオンなどの多くの歌手によってカバーされている。

 この作品をなおいっそう有名にしたのが、ザ・ビートルズで1964年にリリースした<Beatles For Sale>アルバムの中の一曲で、リトル・リチャードの<ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ>とメロディーで演奏している。
これで、ビートルズによって<カンサス・シティ>はロックン・ロール不朽の名作と昇進?してしまった。

 尚、この<ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ>でリトル・リチャードは作曲者として多額の印税を手にした。
まさに、ビートルズ様様である。

 余談だが1969年ウィルバート・ハリソンが<Let’s Stick Together>をリリースし、1970年全米17位に入る久々のヒットを放った。この曲はキャンド・ヒート、ブライアン・フェリーがカバーヒットさせている。

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Category: R&B

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愛はどこへ行ったの・・・・ザ・スプリームス
 グループの活動期間は1959年から1969年までである。
 結成当時のメンバーは、<ダイアナ・ロス>、<メアリー・ウィルソン>、<フローレンス・バラード>、と<ベディ・マグロウン>の4人組であったが、まもなくベディが抜けバーバラ・マーティンに替わった。
そのバーバラもデビュー目前に結婚の為やめた。こうして、オリジナルの3人になった。

結成当時、毎日毎日ぼくらは鉄板の・・ではない、日々モータウン・レコードに通いつめて毎度断られても
あきらめずに通ったお陰で少しずつ仕事が貰えるようになった。その結果マービン・ゲイのレコーディングに参加できるようになった。仕事と言っても「手拍子」するだけの仕事だったが、レコーディング出来るだけで
満足していた女の子達だった。

そのころのグループ名は<ザ・プライメッツ>だった。
プライメッツは1960年「Tears Of Sorrow/Pretty Baby」がデビュー曲だったが、当然ヒットはしなかった。A面はダイアナ、B面はマリーがリードボーカル。

1961年グループ名を<ザ・スプリームス>と変更してモータウン・レコードと契約を交わした。
変更してもなんら変化はなく、一番ヒットしたのは1963年に発売した<When The Lovelight Stars Shining Through His Eyes・・・恋のキラキラ星 全米 # 23>だった。

 因みに<supreme>とは、最高位の、最大級の意味だが、大したヒットもなかったので、彼女らは<No Hit
Supremes>と呼ばれていた。要するに名前負けしていたわけだ。

 でもそんな彼女らの下積み生活も1964年になって事情が一変する事になる。それは、モータウン・レコードの売れっ子ヒット・メーカのD-H-D(ドジャー、ホーランド、ドジャー)との出会から始まった。
1964年に吹き込んだ<Where Did Our Love Go・・・愛はどこへ行ったの>が、1964年8月1日付で5位にランクされ、その3週間後になんと全米1位になってしまった。 この大ヒットをきっかけに5曲連続全米1位の前代未聞の大進撃が始まった。
この年にアメリカ・デビューした<ザ・ビートルズ>と対抗できるのは彼女らしかいなかったと言われる所以です。
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 <愛はどこへ行ったの>を初めて聴いたのは、今と違って当時のラジオ番組はポップス番組が花盛りでして、猫もご多分にもれず毎晩聞いていました。その中のポップス番組で知ったこの曲は足音のイントロから始まるという大変ユニークなもので、聴いていて不思議な感じがした曲でした。
個人的にはダイアナの声は嫌いです。声が細く甲高く聞こえるからです。それから体が細いのも駄目ですね。

 <愛はどこへ行ったの>には裏話がありまして、当初はこの曲は<ザ・マーベレッツ>が歌う予定でしたが、メンバーの一人が”こんな屑歌は歌えない”という事で、スプリームスにお鉢が回ってきました。
断られた歌を歌うというのには抵抗があったもの、デビューしたてのグループですから、断れるはずもなく嫌々歌ったら 大ヒットするのですから、世の中どこの運が落ちているか分かりませんね。

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Category: R&B

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I Got A Woman
レイ・チャールズはソウル、ブルース、R&B,ゴスペルなどの幅広いジャンルを歌いこなす、アメリカン・ミュージック界の巨人と称されスーパースターである。
また、カントリーソングにも挑戦し新たな境地を開いた。

アトランティック・レコードから1955年発売した「I Got A Woman」はR&B部門で1位にはなったが、ポップス部門ではヒットしなかった。
しかし、エルヴィスを始め多数の歌手が吹き込んだ。ポップス部門ではリック・ネルソンが2番目にヒットを放った。数あるカバーの中で一番聴き応えがあるのはエルヴィス盤である。まさに、ブルースをロカビリーに見事変身させている。エルヴィス盤を多くの歌手が真似をしてカバーした。
レイはエルヴィスが「I Got A Woman」を歌うのは快く思っていなかったと言っていた。
I got a woman a


レイチャールズは6歳で失明したが、目がみえないというハンディを乗り越えピアノを学び、全米1位3曲( I Can't Stop Loving You,Georgia On My Mind,Hit The Road Jack)
トップ10内11曲のヒットは素晴らし大偉業だと思う。最初の大ヒットは「What'd I Say (何と言ったら)1959年」。このレコードも多くのロックン・ローラーに取り上げられ、カバーレコードも多い。」


尚、サザンのカバー「Ellie My Love」はオリコン3位に入ったが、日本で人気があるのは「わが心のジョージア」だと思う。このレコードをハンティング出来たら載せたいと思っています。
何しろ“ブラザー・レイ”の作品は珠玉の作品が多い。できたら、you tubeで彼の作品を聴いてもらいたし聴いたら圧倒されるのは目に見えているから。


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Category: R&B

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ラストダンスは私に
ラストダンスは私に(Save The Last Dance For Me)

越路吹雪さんのヒット曲でお馴染みですが、オリジナルは黒人R&Bグループ、ザ・ドリフターズで
1960年3週間全米1位に輝いた名曲です。これを書いたソングライターチームは、ドグ・ポーマスと
モートシューマンです。彼らはエルヴィスにも「A Mess Of Blues」「Surrender」「Viva Las Vegas」など提供しています。
ラストダンスは私に

このグループはメンバーチェンジが激しくて、最後のほうはオリジナルメンバーがいないほど、脱退、加入を繰り返していました。ヒット曲はたくさんありますが、エルヴィスも彼らの曲「Money Honey」「Such A Night」
をカバーしています。

彼らのグループには「Stand By Me」のベン・E・キング、「Lover Please」のヒットを放った、クライド・マクファータが在籍していましたし、タイトルの歌はベン・E・キングがリード・シンガーでした。

1960年と言えば猫は中学1年生で、まだ、ポップスは聴いていませんでしたし、聴いていたのは歌謡曲でした。明星とか平凡の付録の歌の本を友達から譲り受けて、夢中なって覚えていた時期でした。
ポップスに興味を持ったのは中2あたりで、所謂、日本人の歌手が歌うカバーソングでした。
ここから、アメリカン・ポップスへと興味を持つことになりますが、本格的に夢中になったのは、
高一の時でエルヴィスによって触発され現在に至っています。


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